弁護士という職業[前編](弁護士 中山隆弘)

弁護士という職業
[前編]

今回のテーマは、「弁護士という職業」ということで、中山先生が弁護士を志してから今に至るまでの長いお話をお聞きしたいと思います。まず、中山先生が弁護士を志したのはいつのことでしたか?

高校2年生のときだったと思います。何か、困ったり悩んだり苦しんだりしている人達のために堂々と戦える仕事を、と思うようになって、私の場合はそれが弁護士でした。

なにかきっかけとなるような出来事があったんですか?

後から振り返ってみればいくつか思い当たることはありますが、私の場合は、ある日突然大きな出来事をきっかけとして弁護士を志すようになったわけではないです。あったらカッコよかったんでしょうけど(笑)…ただ、それまでの人生で、自分自身も色々と理不尽なことを経験したりそれについて深く考えたりしていく中で、徐々にそういう気持ちが強くなっていったという感じです。

弁護士になろうと決めたときから、何か具体的な準備を開始したのですか?

ひとまず大学は法学部に行こうと決めて、受験する学部を全て法学部にして勉強に励んだくらいで、具体的な準備は大学に入ってからです。司法試験…私のときは法科大学院を卒業して新司法試験へ、という流れになりつつある頃でしたが、色々調べた結果、いずれにせよやはり司法試験予備校に通ったほうがよいと判断したので、大学1年の4月に司法試験予備校巡りをして、5月から通い始めました。LEC東京リーガルマインドの横浜本校です。

相談写真

大学入学してすぐというのは、早いほうではないですか?

そうですね。一般的には2、3年生になってからという人が多かったですかね。

とりあえず普通の大学生がするように、サークルとかに入って、キャンパスライフを楽しむというのは考えなかったんですか?

サークルには入りませんでした。まぁ語学や一般教養のクラスでも友達は結構できましたし…というか、当時は、「法学部にも入れたし、いよいよ自分の夢を実現するんだ!」という気持ちで燃えていたので、とにかくそのためだけに行動したかったんです(笑)

青春は自分の夢に捧げたと。

良く言えばそういうことになるんですかね。見方によっては単なるガリ勉ですけど(笑)
…少し脱線しますが、僕は昔からアーティストの布袋寅泰さんが好きで、今もファンクラブに入っているくらい好きなんですが、布袋さんの曲の中に、「本気で生きてく覚悟なら 夢のために戦ってみな」という歌詞(注:"R&R NEVER DIE"(『SCORPIO RISING』(TOCT-24741)収録))があって、当時はその言葉に心酔してて、そういう生き方に憧れていました。正直、受験生生活はその後どんどん辛くなっていったんですが、その言葉を何度も再確認して、乗り切ってきた感じです。「自分は本気で生きてるのか?」って。……まぁ周りで、サークルの合宿だ、合コンだっていうので楽しんでいるのを、たまに嫉ましく思うこともありましたけど。いや、たまにというかしょっちゅうですね(笑)別にそういったことを否定する気も全くないですし、むしろそういうことはすべきだったのかもしれないですし。ただ当時の自分にとっては、本気で生きるというのはそういうことではなかったということです。

なるほど。興味があって聞くんですが、具体的にはどのくらいの時間、勉強するものなんですか。

自分の場合、時期によって違うんですが、大学1、2年の時は…先ほども言ったように、当時法科大学院を視野に入れていて、そのためにはGPAが良くなければならなかったので、学部の授業にもちゃんと出ている必要がありました。なので、日中は結構学部の授業に拘束されていました。で、予備校のある曜日は午後6時50分から午後9時50分まで講義を受けた後、家に帰ってその日の予備校の授業の復習をして、遅い時は午前3時過ぎに寝て、朝7時に起きて、という生活でした。予備校のない曜日はもっと普通でしたけど。
…そういえば、その頃は、予備校の講義や答練(注:答案練習会)は絶対に休まないと勝手に決めていたので、冬に39度の熱が出た時もなぜか行ってました(笑)今ならそういうことは絶対しない…というかできませんが。

学生時代写真

その頃は一人で勉強していたんですか?

大学3年の頃まではそうです。大学受験の時の勢いをそのまま使う感じで。
ちなみに、大学3年、4年のころは授業が少なくなって…学部のゼミは行ってましたけど、それ以外は日中も自分の勉強に費やすことができたので、睡眠時間も6、7時間はとったりとか、それなりに健康的な生活はしてました。

学部のゼミは何のゼミに入っていたのですか。

民事訴訟法です。ちなみに卒論のテーマは、「独立当事者参加における敗訴者の一人による上訴」という、実務についてからは未だに一度も扱ってないテーマです(笑)

そのころの勉強時間はどのくらいだったんですか。

大学3、4年の頃は、もう一日に15時間くらいだったと思います。

ずいぶん長いですね。

や、もっとやっていた人は沢山いたと思います。それに、好きなことをやってたわけですし。

弁護士 中山隆弘 インタビュー写真

そのころは息抜きとしてはどういったことをしていたんですか?

うーん…今は買わなくなりましたけど、当時はいわゆるお兄系…ロックファッションというか、伸ばした髪を立てて革ジャン着てブーツカット履いてシルバーアクセ付けてみたいな服装が大好きだったので、そういったものを息抜きに買ったりしてました。イメージとしては、モトリークルーのニッキーシックスとか、日本で言えばZIGGYの森重樹一さんとかに憧れてて…さっき言ったように、当時自分がやってたことはある意味単なるガリ勉ですけど、服装までガリ勉のイメージにすることはないというか、スカルリングを嵌めた指で六法めくってるのも悪くないなと(笑)まぁ純粋にそういうのが好きだったんです。そういう好きな格好をしているだけでもストレス解消になりましたし。
あとそういうわけで聴く音楽も、先ほどの布袋さん以外は、そういうファッションから連想されるような洋楽のハードロックが大好きだったので、…当時はお金がなくて安い数百円の中古の輸入盤ばかりでしたが、とにかくたくさんCDを集めてました。BURRN!(注:ヘヴィメタル・ハードロック専門誌)も欠かさず買ってましたし。ライブに行くのはしばらくお預けでしたけど。ちなみに、弁護士になってお金を貯めて初めて買った新車も赤いスポーツカーだったりして、とにかくその世界のイメージに対する憧れは大人になってからも強いです(笑)
ということで、そういった小さな買い物を日曜とかに1、2時間するのが当時の息抜きでした。自習室は横浜にあって、立地条件は良かったんで。

なるほど。話を戻して、受験生生活に関して、何か当時のエピソードとかはありますか?

…数年前の私の結婚式のときに、一緒に勉強していた先輩がスピーチで話してくれて思い出したんですけど、…私が大学4年の頃、私とその先輩は文字通り朝から晩までLECの横浜本校の自習室に籠っていたんです。それで、その頃私は、勉強中は絶対にエビアン(注:ミネラルウォーター)しか飲まなかったと。で、その理由として私は「お茶やジュースでは雑味があって勉強に集中できないからダメだ」と言い張っていたそうです(笑)。まぁ今考えれば変な奴ですけど(笑)

中編へ続く・・・

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